はじめに
私が投資を始めたきっかけを思い返してみたのですが、もともと毎月分配型のタコ足ファンドを中心に10年ほど前に投資はすでに始めていたものの本格的に勉強してインデックスファンドを用いた投資信託を始めたのは、アメリカに留学していた頃に出会った方から投資についてのアドバイスがあったからです。
どんなアドバイスがあったか
その方は私のように投資信託を用いた投資ではなく日本の個別株を中心に、当時の私からしたらかなりの額を投資に回しておられる方でした。
あるときその方と話をしているときに、
「もっとお金を投資に回した方がいいよ。どうせ今そんなにお金なんてそんなに必要ないでしょ。使わないお金を手元に置いておくんだったら株にしてお金に働いてもらった方がいいよ」
ということでした。
今でこそ、この考え方は私の根底に染み付いています。しかし当時の私には全くない概念でしたので、とても驚いたのを覚えています。
すでに少額ながら投資をしているにも関わらず、お金に働いてもらうという意味がしっくり自分に落とし込めていなかったのを覚えています。
先日その先輩にお会いしたときに「おかげで投資を順調に進めることができています」とお礼を伝えたのですが、当の本人はそんなこと言った記憶はほとんどない様子でしたが。
今の私の投資に対する考え方:「自分のかわりに働いてくれているなら一時的に損をしても気にしない」
私の世界投資に対する考え方はその後も大きく変わりました。
現在では、その先輩が言っていたように「どうせすぐには使わないお金なんだから世の中で働いてもらおう」ということは変わらないのですが以前のように
- 利回りが10%くらい出てくれないかな。
などしんどくなるような期待を持たなくなっているのに気づくようになりました。
ただただ、僕は理学療法を通してでしか世の中の役に立てません。だけど自分のお金が自分の分身だとすると、その分身が世の中を駆け巡って働いてくれることで十分満足だなと思うようになっています。
もちろん、お金が増えるに越したことにはありませんが。
ですが世界投資を始めた頃に比べてギラギラした感じはなくなっていい意味で投資と良い距離感を保てるようになったなと思います。
私は零細個人投資家ですが機関投資家と違い個人投資家は、時間は味方につけることができます。ですので、株価が大きく下がっても焦る必要もないはずです。最終的に大損さえしなければいいなと思っています。
私も時々寄付をしたりもしますが、寄付って本当にその寄付したいところに届いているかわからないじゃないですか。
それだったら株式を用いて投資することによって世の中が潤うように願うことも一つの投資なのではないかと考えたりもするわけです。そう考えると、
見返りのある寄付=世界投資
という感じがする今日この頃です。
私はまだまだ自分の好きな理学療法を通して世の中に貢献したいですし、投資で生きて行こうと欲張らなくても良い恵まれた立ち場でいます。
この有難い境遇に感謝しながら自分の転職と投資を続けて行きたい。
まとめ
よく考えてみると欲張らないって普段の生活や人生においてもいえることですね。
これからも「欲張らない」をモットーに努めていきます。
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